生きる~猫と音楽と躁うつ病と~

うつ病→双極性障害7年目になる引きこもりシングルマザーの心の記録☆*.。

離婚の決断

私は精神科に通って7年目になります。
そして、離婚してもうすぐ6年。


離婚前の1年間は本当に悲惨な日々だったと言っていいと思います。


毎日、自傷行為が日課でした。
毎週、通院日に『自傷行為はもうしない』と主治医と約束するのですが
病院からの帰り道ではもう自傷行為の事で頭がいっぱいでした。


早く傷つけたい。


でも自傷という逃避はあっという間に終わってしまい後は虚しさに襲われるだけ。


それでもその一瞬の開放感を求め続けました。


自傷したくなったら飲む頓服も
使うことはありませんでした。


「死にたい」
この言葉も頭から離れなくなるように
なりました。


どうせ死ぬんだし…
病院の予約をせずに帰りました。


家を通り過ぎ山道に向って車を走らせました。
この辺でいいかな…


その時 携帯が鳴りました。
主治医からでした。


主治医「今どこにいるの?」


私「⋯⋯山の中です」


「すぐに行くからそこを動かないで!!」


私を引き留めようと
先生はいろんな話をしていたと思います。
その中で一つ覚えてるのは
私が予約しないで帰ったことを知り
急いで電話したってこと。


そのうち家族が私を迎えに来ました。


先生は「ご家族に話してごめんね。」と
家族に連絡したことを謝ってきました。


悪いのは私なのに…


こんな時もありました。
私が診察室で「もう死にたいです」と
泣き崩れると
先生は私の手を握りしめ
「お願いだから生きて!!」
そして看護婦さんに指示し私を別室へ。


他の患者の診察が終わり休憩時間に入ると
私のいる部屋に来ました。


「今日のあなたは今までになく
とても儚く見えて
今にも消えてしまいそう。
お願いだから生きるって約束して。」


また私の手を握りしめ
泣きじゃくった顔を覗き込みながら必死に語りかけてきました。


「はい。」
そして母親に連れられて帰宅しました。
母親も泣いていました。


でも、その後も「死にたい」という気持ちから解放されることはありませんでした。


結婚したのも家族を不幸に巻き込んだのも全て私のせいだ!!


『全ての罪をお許しください』
と一言書きODをしました。


気づいたら病院のベッドの上でした。


生きてる…
意識がだんだんハッキリしてきた頃
母親が「話せる?」と聞いてきました。


私はうなずきました。


すると携帯を私の耳に近づけてきました。
電話の声は主治医でした。


「生きててくれてありがとね」


優しい先生の顔が浮かんできて
涙が溢れてきました。


次の診察日、診察室に入ると先生は
私をじっと見つめこう切り出しました。


「医師が患者のプライベートに口を出す事はいけない事と承知の上で言わせていただきます。


離婚しなさい。」


『離婚』

家族には言われていたけど
私の判断力は完全に失われていました。


先生に言われて、その言葉のすべてを
理解できました。


患者に離婚を進言する…
そのリスクは計り知れないと思います。


それでもなお言ってくれた先生。


私の心が動きました。
そして離婚を決意したのです。



これを書きながら家族にいかに迷惑をかけてしまったか痛感しています。
そしていまだに迷惑をかけている事。


そして先生が私の命の恩人である事。


決して忘れてはならないし、
少なからず今は『死』に逃げたりはしないと言いきれます。


私が今出来ることをする事
それが償いになるのかな…
これはご都合主義かな。


手探り状態ではありますが
自ら死を選ばない事は約束できます。



長文最後まで読んでくださりありがとうございました🌼*゚


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